ピーチマン

Dub Me Crazy

モチベーション管理以前の問題

関係者の皆様、平素は大変お世話になっております。

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早いもので、年末のご挨拶をさせて頂く時期となりましたが、ベトナムは旧正月が本番ですので、弊社ベトナム営業所は31日まで営業、1日のみ祝日で、後はカレンダー通り営業いたします。
 
さて、最近気に入っているツールとして、Slackがあります。
 
Slackとは、チャットができるコミュニケーションツールです。シンプルなUIデザインで、ショートカットキーも豊富。プログラミングコードを綺麗に投稿できるスニペットが用意され、高性能な検索機能など、「情報共有のしやすさ」「情報の蓄積」として最適なコミュニケーションサービスです。
 
所謂、Skype、チャットワークに変わるものです。
 
わかりやすい利点としては、コードスニペットが使えます。ソースコードをそのまま送れます。Skypeで送るのは改行コードとか怖いですよね。また、ファイルは別途管理出来、アーカイヴとしても使えます。無料です、有料版もあります。無料と有料の違いは下記を参照ください。
 
色々細々といいところはありますが、私がSlackで一番気に入っている所は、個人と個人(自分と相手の2人)で、チャンネルという形で、それぞれ別々のスレッドを作れる所です。
 
毎日、スタッフの何人ともチャットツールを使ってやり取りをするのですが、正直、タスクのプロセスに直接関係無い事を言ってくる事が多い、と感じていました。
 
笑い、ジョークのようなハイコンテキストな話ではありません、真剣に内容を勘違いしているのです。
 
ベトナムで仕事を始めてしばらくは、ベトナムの人の気質がそうなのかな?私の伝え方がおかしいのかな?と自分を言い聞かせている所があったように思います。
 
しかし、仕事は仕事、気質なんて仕事の本質には関係ありません。求められたものに対して最低限、それ相応のものでお返しが出来ないと、そもそも仕事になりません。
 
ですので結論、仕事ではプロフェッショナルであるべきです。勘違いのレベルの低さはつまり、プロ意識の低さを物語っていると言えます。(もちろん、伝え方も大事です。)
 
その意識の低さに関して、日頃から言及はしていたのですが、それをSkype上で行っていたのでは、タスクのプロセスに直接関係の無い会話でスレッドが汚れ、結局なんの話かわからなくなっていることが多かったように感じます。
 
一方、Slackでは文脈を逃しません、個人と個人でチャンネルを切れますので、ちょっとでもタスクのプロセスに関係ない事を言い出したら、その点について別チャンネルを切り、徹底的に話合う事が出来ます。
 
スタッフのモチベーション管理について悩む時期もありましたが、それ以前の問題だ、と最近は思います。プロフェッショナルで無い人のモチベーション向上を図るなど、意味あるように思えません。
 
来年こそウチからプロフェッショナルを生み出したい、そう最近は思っています。
 
 
最後になりましたが、時節柄、皆様ご多忙のことと存じます。くれぐれもお身体にはご自愛くださいませ。来年も相変わらぬご愛顧を頂けますようお願い申し上げて、歳末のご挨拶とさせて頂きます。
 
 
追記:伝え方に関して悩んだ時期もあります。日本人もベトナム人も、英語は第二言語ですから、英語の勉強よりもベトナム語を…と思い、ベトナム語も勉強していますが、そもそも、他の言語を勉強する事で、自分では気づけない、日本人の表現の思い込みについて気づく事が出来ます。本著はその表現の違いについて端的に説明しており、わかりやすいです。

willとbe going to、冠詞のaとthe、現在完了形と現在完了進行形、過去形と過去完了形、thinkとsupposeなど、日本人がその使い分けにおいて最も間違えやすい文法事項に焦点を当て、ネイティブスピーカーと可能なかぎり正確なコミュニケーションをはかるための、考え方の基本を提示。

 

本当に考えるとはなにか?強固なマネジメントと考えるスキルの関連性

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(Play Station 3かな、と思ったらFun Station 3でした。メーカー名はハッキリと明記されていません。タカオ君、プレゼント本当にありがとう。ケーブルはよくよく確認するとモノラル出力でした)
 
昨日は誕生日でした。34歳になりました。常日頃からお世話になっている皆様、改めてありがとうございます。
 
相変わらずこの歳になっても毎日成長しなければ、と思わされる日々です。強固なマネジメントと、考えるスキルの関連性について。
 
人は大抵、問題が顕在化するまで放置します。そして自分から問題を顕在化しようとしません。普段の生活、仕事の中で、問題を問題と認識出来ないのがまず問題であって、辛うじて兆候に気づいたとしても、その問題の深刻度を正確に認識出来ない限り、人は動きません。
 
考えてみれば、可能性を信じて日本を出、先進国でビジネスをやっているわけですから問題なんて山積みなはずです。今日は何もなかったな、という日がある方がむしろおかしいくらいです。つまり、普段から問題を顕在化出来る仕組み作りが大切だと。
 
ポジションがある程度上がってくると会社の情報が逐一入ってくるので、ビジネスの全体像をある程度感覚で把握出来るようになり、シビアな経営状況にならない限り、経営判断を感覚でしてしまう事が正直、多くなる気がします。その感覚はあながち間違ってはいないはずです。しかし一旦、経営状況がシビアになった場合、その時に下した経営判断がポジション間のマネジメントに亀裂を生む、と。
 
ところで、インプットとアウトプットのスキル云々については良く言われる事ですが、その2つの間に考えるスキルがなければ、どれだけインプットとアウトプットのスピードを上げたとしても、アウトプットのクオリティは期待出来ないものになるでしょう。
 
ただ考える、と言っても難しいものです。売り上げを上げる為には?と漠然と考えていても一向に前に進みません。下記スピーチは痛い所を突かれた、という人が多いのではないでしょうか?(私はそうです)
 
アインシュタイン以上のIQを持つ、自閉症の少年のスピーチ。「大切なのは学びじゃない」
 
必死に何かを学ぶよりも、考えろ、という事を訴えているスピーチです。確かにこの少年が言っている事には共感出来ます。しかし私は、考えるにもスキルが必要なのではないか、と。
 
 
まず、良く知られた【考える】手法として、問題を小分けにし、認識しやすくする手法があります。これはIssue Treeとして著名な経営コンサルタント大前研一氏著『企業参謀』でも紹介され、日々のタスク整理や管理でもよく利用している方が多いはずです。
 
  
しかし問題を小分けにしていった結果、【情報】がない為、それ以上に細分化、深化出来ない、という事態に陥り、そのままなんとなく放置されている事は多いのではないでしょうか?
 
実はここに、問題を正確にマッピングする為の【情報を集めるスキル】も必要なのでは、と。考えてみれば、求める情報を正確に、いつでも素早く集める事は意外に難しいものです。
 
つまり、普段から【自分(のビジネス)に関連する】情報収集を意識的に行い、情報のマッピングを行い、自分(のビジネス)の立ち位置を常に明確化しておく事、つまりそれが【顕在化していない問題を顕在化する前に見つけられる手段】となり、それは結局【感覚のみによらない経営判断、そして経済状況の波に影響されない強固なマネジメントの構築に通じる】と。
 
このような事を気づかせてくれるスタッフ、環境に本当に感謝しています。今年も1年、成長が多くて実りのある1年になりますように。
 

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やまやは本当にいい奴です。
 

本当の優しさ

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(ガッツリビ-ガン)
 
本当の優しさとはなにか。
 
優しくしても、結局お互い死んじゃうとなると、それは本当に優しさなのか。現代社会は死んじゃうまで中々行かないのでそこの所、実に見えづらい。
 
本来そもそも何の為に優しさがあるのか、男女間のみならず、助け合わないと死ぬシーンがあったからではないか。例えば旧石器時代を想像すると、現在の基準で優しさをバラまいたら多分すぐ死ぬ。何人か巻き込んで死ぬ。
 
でもそれは実は今も同じで、中々死に直結しないので見えにくいけど、力が無いのに人を助けるとか、必要の無い優しさを振る舞う事は結局、相手と自分(の成長機会)を殺してるのと同じじゃないのかな、と。
 
ただ、現代でも時々、本当の優しさを感じる時がある。このままだとお互い死ぬかもという大変な状況を共有出来た時だ。そんな時、自然に力のある方が無い方を助ける、実に自然な優しさを感じる。
 
5年程前、『これ2徹だわ死んだ』と私がボソッと言った時の、『手伝いましょうか?』と即言い出す畑中くんの優しさは本当に凄かった。畑中君も前日寝てないのに。
 
結論、優しくするなら強くなれ。強くないなら優しくするな、むしろ弱さを共有しろ、それが出来無いなら組織としての成長は無い。
 
*追記
大変の度合いを共有出来るかどうかはかなり重要かと。人種もそうですが、バックグラウンドが違うとその大変度合いの共有が難しい、と強く感じる。ただ、全員が全員同じ基準を持っていても、事業の継続性という意味では危ないかもしれない。
 
 

決断力とインターネット、そして笑いの関係

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Hủ tiếu chay(ベトナムはお店を良く見てみるとベジタリアンレストランが沢山あります。)
 
ベトナムに来て以来、毎日決断を迫られる事が本当に多いです。
 
良く考えるとどんな人でも日々、何かを決断(昼ご飯なに食べようとか)して生きているわけですが、決断しないといけない数が多いと、決断とはどれだけ気力(?)を使うものなのか、日々痛感するようになりました。
 
関西人だったら共感できる人がもしかしたらいると思うんですが、小さい時、友達同士で会話していて考えすぎるとタイミング(?)を逃すので、おもろない奴や、というレッテルを貼られるんですね。
 
今考えたら僕の頭が鈍いのか、僕のネタが単純にそいつにウケないだけなのか、考えれば考える程どうでもいい事なんですが、大阪に住む幼い頃の自分にとって、おもろない奴とレッテルを貼られる事は存在を否定されるかのような感覚でした(笑)。
 
そのような子供時代だったので、今考えるとコミュニケーションにタイミングというか、ノリを重視しすぎてたかな〜、と。
 
なんの話かというと、日々決断を意識してするようになったので、なにか発言(行動)する前によく考える、という癖がついて来て、ちょっと意識してノリ重視なコミュニケーションをやめてみたりしてるのですが、あたり前ですが笑いのタイミング逃してる、とかもう皆さんツッコミませんね(笑)。まぁ、そもそもツッコミ自体が日本の、しかも関西だけの文化だと思うのですが…。
 
そこで感じたのですが、小型のデヴァイスやラップトップが低価格、高性能化したおかげでインターネットが手軽、ポータブルなものとなり、自分に入ってくる情報をキュレーション(*)してくれるサービスもあったりして、自分に入ってくる情報を取捨選択出来るのがあたり前な時代になってきています。
*IT用語としては、インターネット上の情報を収集しまとめること。または収集した情報を分類し、つなぎ合わせて新しい価値を持たせて共有すること コトバンクより

 

そんな時代に求められるのはスピードと分かりやすさ、なんですよね。つまりこれ、求められるものが大阪の小学生と一緒やん…と(笑)。
 
スピードと分かりやすさ、それらももちろん大事なんですが、深く考える、って事も凄く大事なんじゃないのかな、と。特に大きい決断するには、深く考える事が必要です。
 
感覚で物事を判断した方が結果は合っている、という研究結果もあるそうですが、例えば会社に合わないスタッフを切らなければならない場合、『僕の感覚的に君、辞めた方がいいわ』とは言えませんし、なぜ売り上げが上がってないのにこのプロジェクト進めるのですか?と聞かれた時、『俺の感覚がそう囁いているから』とは言えません(少なくとも僕は)。
 
僕が毎日の決断で消耗しまくっているのは、この大阪生まれの環境と、インターネット漬けのせいなんじゃないのかな、と…(笑)。もちろん環境のせいにはしたくないので大阪生まれのくだりは冗談ですが、インターネットとテクノロジーのおかげで深く考える事が出来ない人、大きい決断をできない人が増えたんじゃないのかな、と感じる今日この頃です。
 
考える癖をつけたかったら日々沢山決断をする状況を作る事がおすすめです。
 
最近のいい顔写真。
 
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なぜ人は成長しないといけないのか?ベトナムが教えてくれた事

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ベトナム、HCMCに来て、3年4ヶ月になりました。来てから今の今まで、つくづくベトナムは色々な事を教えてくれるな、と感じる毎日です。正直ちょっとToo muchだな、と感じる事もありますが、自分の成長の為と考えるようにしています。

 

本当に毎日色々な事が起きるので、ついてないな、という事も起こります。最近本当についてないな、という事があったので考えました。

 

まず、ついてないな、と思う事自体、幸せな生き方ではないな、と感じてはいましたが、毎日色々な事が起きると、ついてない事が連続する事もあり、詰まる所『ついてない』という所が重要なのではなく『ついてないと思う』という所の方が大事だな、と思い至りました。『思っている』という事自体が。

 

何かが起ころうが起きなかろうが、人は常に何かを思っています。思考は自律的です。何故息をしてるのか、と考えなくてもしているように、思考も何故思考するのか、と考えるまでもなく思考しています。

 

つまり、消せないテレビと一緒です。無料で自動で無限にコンテンツが流れてきます。そのコンテンツを見て、幸せだ、と感じたり、不幸せだ、と感じたり、色々浮き沈みをする訳だな、と。

 

消せないテレビの内容に一喜一憂している、と考えるとなんとも馬鹿らしく感じますが、ではそれとうまく付き合う事が出来れば、どんな所で、どんな事が起きようが、大切な事を冷静に判断し、自分の出来うる限りの事をスッとが出来るような人間に成長出来る気がします。

 

思考はまず止められないのですから、うまく自分の思考と付き合う為に、自分にとって大事なコンテンツとそうじゃないコンテンツを自分の中でしっかりと見分ける事が大事だな、と。そして大事なコンテンツを知るには、集中して自分の思考を見つめる必要があるのかなと。昔の人はこれを瞑想と呼んだのかな、と…。

 

大事なコンテンツが分かれば、そこにちゃんと時間を使う事、これも大事だと思います。ベトナム(私の場合ですが)は毎日本当に色々な事が起きるので、しょうもない事は全力最短でなんとかし、日常を大事なコンテンツにフォーカスさせる力が必要です。

 

結局の所、この日常のしょうもない事をなんとかする為に成長する必要があるのかもしれません。大事な物から時間を優先して使って行けば、残りの細かいものはどうとでもなるでしょう。

 

ベトナムには本当に感謝しています。これからももっと沢山の事を教えてもらい、ベトナムにも恩返しできたら最高だな、と思います。

ビジネスで成功する、って何ですか?

ベトナムに来て自分が変わった事の一つ。

 

会社の自分の部下で使えない人がいる、とする。その人を首にしますか?しませんか?

 

使えないのは、僕が使えてないから、しっかり教育すれば大丈夫、と思い、日夜シゴいてみるのですがなんとも変わらない。僕の教育方法が悪いのかも…と思い、他の人に教育係をバトンタッチしても結果は同じ。もう首にするしかないのかな…会社の為にならないよな…そんな事で悩んだりしてました。

 

ちなみに、ベトナムで日本人としてベトナム人と働いていて、ふっ、と時々、なんでここで働いてるんだろ?と思う時がある。

 

いやいや、ベトナム新興国で、ビジネスで成功するチャンスが沢山あるからでしょ?と思い直すのだけど、ある時、ではビジネスの成功って何?と思う時があった。

 

会社の売り上げを伸ばす事?

 

いや、お金は単なる標示(目印)なだけでつまり、お金が入ってくる、という事は社会が受け入れてくれている、って事と同じじゃないかな、と思った。社会が強く受け入れてくれるから、会社のもの、サービスにお金を沢山使ってくれて、売り上げが上がる。

 

そう思うと、僕のやってる仕事、会社はベトナムの社会に受け入れられているだろうか…そういう事が気になりだした。

 

そんな時、その使えない人を見て、あぁ…人一人も受け入れられない会社って、社会で意味あんのかな、と思いだした。

 

そこから首にする、という考えはなくなり、なんとかしてその人が使えるシーンはないかな、と考えるようになりました。今だに使える、とは言えませんが、なんとか活用出来ないかな、と考える事で沢山の気づきを与えてくれています。

 

売り上げを気にする前に、その仕事、社会に誇れますか?仕事環境、社会に誇れますか?って、最近思うようになってきた…ような気がします。

 

考え方を変えると全て、なにかしら感謝出来るんやな…。

 

今日は(も)サイゴンビーガン。今日は初めてミーサォ(やきそば)頼んだ。

うまい…なにがうまいってチリソースがうまい…。

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全部チリソース食べた…w

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ごちそうさまでした。