ピーチマン

Dub Me Crazy

決断力とインターネット、そして笑いの関係

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Hủ tiếu chay(ベトナムはお店を良く見てみるとベジタリアンレストランが沢山あります。)
 
ベトナムに来て以来、毎日決断を迫られる事が本当に多いです。
 
良く考えるとどんな人でも日々、何かを決断(昼ご飯なに食べようとか)して生きているわけですが、決断しないといけない数が多いと、決断とはどれだけ気力(?)を使うものなのか、日々痛感するようになりました。
 
関西人だったら共感できる人がもしかしたらいると思うんですが、小さい時、友達同士で会話していて考えすぎるとタイミング(?)を逃すので、おもろない奴や、というレッテルを貼られるんですね。
 
今考えたら僕の頭が鈍いのか、僕のネタが単純にそいつにウケないだけなのか、考えれば考える程どうでもいい事なんですが、大阪に住む幼い頃の自分にとって、おもろない奴とレッテルを貼られる事は存在を否定されるかのような感覚でした(笑)。
 
そのような子供時代だったので、今考えるとコミュニケーションにタイミングというか、ノリを重視しすぎてたかな〜、と。
 
なんの話かというと、日々決断を意識してするようになったので、なにか発言(行動)する前によく考える、という癖がついて来て、ちょっと意識してノリ重視なコミュニケーションをやめてみたりしてるのですが、あたり前ですが笑いのタイミング逃してる、とかもう皆さんツッコミませんね(笑)。まぁ、そもそもツッコミ自体が日本の、しかも関西だけの文化だと思うのですが…。
 
そこで感じたのですが、小型のデヴァイスやラップトップが低価格、高性能化したおかげでインターネットが手軽、ポータブルなものとなり、自分に入ってくる情報をキュレーション(*)してくれるサービスもあったりして、自分に入ってくる情報を取捨選択出来るのがあたり前な時代になってきています。
*IT用語としては、インターネット上の情報を収集しまとめること。または収集した情報を分類し、つなぎ合わせて新しい価値を持たせて共有すること コトバンクより

 

そんな時代に求められるのはスピードと分かりやすさ、なんですよね。つまりこれ、求められるものが大阪の小学生と一緒やん…と(笑)。
 
スピードと分かりやすさ、それらももちろん大事なんですが、深く考える、って事も凄く大事なんじゃないのかな、と。特に大きい決断するには、深く考える事が必要です。
 
感覚で物事を判断した方が結果は合っている、という研究結果もあるそうですが、例えば会社に合わないスタッフを切らなければならない場合、『僕の感覚的に君、辞めた方がいいわ』とは言えませんし、なぜ売り上げが上がってないのにこのプロジェクト進めるのですか?と聞かれた時、『俺の感覚がそう囁いているから』とは言えません(少なくとも僕は)。
 
僕が毎日の決断で消耗しまくっているのは、この大阪生まれの環境と、インターネット漬けのせいなんじゃないのかな、と…(笑)。もちろん環境のせいにはしたくないので大阪生まれのくだりは冗談ですが、インターネットとテクノロジーのおかげで深く考える事が出来ない人、大きい決断をできない人が増えたんじゃないのかな、と感じる今日この頃です。
 
考える癖をつけたかったら日々沢山決断をする状況を作る事がおすすめです。
 
最近のいい顔写真。
 
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なぜ人は成長しないといけないのか?ベトナムが教えてくれた事

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ベトナム、HCMCに来て、3年4ヶ月になりました。来てから今の今まで、つくづくベトナムは色々な事を教えてくれるな、と感じる毎日です。正直ちょっとToo muchだな、と感じる事もありますが、自分の成長の為と考えるようにしています。

 

本当に毎日色々な事が起きるので、ついてないな、という事も起こります。最近本当についてないな、という事があったので考えました。

 

まず、ついてないな、と思う事自体、幸せな生き方ではないな、と感じてはいましたが、毎日色々な事が起きると、ついてない事が連続する事もあり、詰まる所『ついてない』という所が重要なのではなく『ついてないと思う』という所の方が大事だな、と思い至りました。『思っている』という事自体が。

 

何かが起ころうが起きなかろうが、人は常に何かを思っています。思考は自律的です。何故息をしてるのか、と考えなくてもしているように、思考も何故思考するのか、と考えるまでもなく思考しています。

 

つまり、消せないテレビと一緒です。無料で自動で無限にコンテンツが流れてきます。そのコンテンツを見て、幸せだ、と感じたり、不幸せだ、と感じたり、色々浮き沈みをする訳だな、と。

 

消せないテレビの内容に一喜一憂している、と考えるとなんとも馬鹿らしく感じますが、ではそれとうまく付き合う事が出来れば、どんな所で、どんな事が起きようが、大切な事を冷静に判断し、自分の出来うる限りの事をスッとが出来るような人間に成長出来る気がします。

 

思考はまず止められないのですから、うまく自分の思考と付き合う為に、自分にとって大事なコンテンツとそうじゃないコンテンツを自分の中でしっかりと見分ける事が大事だな、と。そして大事なコンテンツを知るには、集中して自分の思考を見つめる必要があるのかなと。昔の人はこれを瞑想と呼んだのかな、と…。

 

大事なコンテンツが分かれば、そこにちゃんと時間を使う事、これも大事だと思います。ベトナム(私の場合ですが)は毎日本当に色々な事が起きるので、しょうもない事は全力最短でなんとかし、日常を大事なコンテンツにフォーカスさせる力が必要です。

 

結局の所、この日常のしょうもない事をなんとかする為に成長する必要があるのかもしれません。大事な物から時間を優先して使って行けば、残りの細かいものはどうとでもなるでしょう。

 

ベトナムには本当に感謝しています。これからももっと沢山の事を教えてもらい、ベトナムにも恩返しできたら最高だな、と思います。

ビジネスで成功する、って何ですか?

ベトナムに来て自分が変わった事の一つ。

 

会社の自分の部下で使えない人がいる、とする。その人を首にしますか?しませんか?

 

使えないのは、僕が使えてないから、しっかり教育すれば大丈夫、と思い、日夜シゴいてみるのですがなんとも変わらない。僕の教育方法が悪いのかも…と思い、他の人に教育係をバトンタッチしても結果は同じ。もう首にするしかないのかな…会社の為にならないよな…そんな事で悩んだりしてました。

 

ちなみに、ベトナムで日本人としてベトナム人と働いていて、ふっ、と時々、なんでここで働いてるんだろ?と思う時がある。

 

いやいや、ベトナム新興国で、ビジネスで成功するチャンスが沢山あるからでしょ?と思い直すのだけど、ある時、ではビジネスの成功って何?と思う時があった。

 

会社の売り上げを伸ばす事?

 

いや、お金は単なる標示(目印)なだけでつまり、お金が入ってくる、という事は社会が受け入れてくれている、って事と同じじゃないかな、と思った。社会が強く受け入れてくれるから、会社のもの、サービスにお金を沢山使ってくれて、売り上げが上がる。

 

そう思うと、僕のやってる仕事、会社はベトナムの社会に受け入れられているだろうか…そういう事が気になりだした。

 

そんな時、その使えない人を見て、あぁ…人一人も受け入れられない会社って、社会で意味あんのかな、と思いだした。

 

そこから首にする、という考えはなくなり、なんとかしてその人が使えるシーンはないかな、と考えるようになりました。今だに使える、とは言えませんが、なんとか活用出来ないかな、と考える事で沢山の気づきを与えてくれています。

 

売り上げを気にする前に、その仕事、社会に誇れますか?仕事環境、社会に誇れますか?って、最近思うようになってきた…ような気がします。

 

考え方を変えると全て、なにかしら感謝出来るんやな…。

 

今日は(も)サイゴンビーガン。今日は初めてミーサォ(やきそば)頼んだ。

うまい…なにがうまいってチリソースがうまい…。

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全部チリソース食べた…w

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ごちそうさまでした。