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ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」読了

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟」読了。ロシアの文豪ドストエフスキーが死の直前まで書き続けた最後の大作。
 
> 物欲の権化のような父フョードル・カラマーゾフの血を、それぞれ相異なりながらも色濃く引いた三人の兄弟。放蕩無頼な情熱漢ドミートリイ、冷徹な知性人イワン、敬虔な修道者で物語の主人公であるアリョーシャ。そして、フョードルの私生児と噂されるスメルジャコフ。これらの人物の交錯が作り出す愛憎の地獄図絵の中に、神と人間という根本問題を据え置いた世界文学屈指の名作。(Amazonの商品紹介より)
 
130年以上前に描かれた小説で、文庫本サイズで3冊、計2,000ページ弱の大作ですが、全編を貫くのは、犯人は誰か?という推理小説のようなスリリングさがあり、一気に読めました。また、劇中劇的な構成にもなっており、各エピソードはそれだけで一つの完成された物語のような密度ですが、その劇中劇が登場人物の何故その行動を起こしたのか?という動機・思想に綺麗に回収されていく流れが凄い。
 
キリスト教異端審問官とキリストと思われる人物の対話を描いた「大審問官」を含む上巻。スヒマ僧(ロシア正教における高位の修道士)で聖人君子とされるゾシマ長老が、出家したエピソードをゾシマ長老の遺訓としてカラマーゾフ家の三男アリョーシャが語る中巻。そして最後、無神論を密かに心に抱くカラマーゾフ次男、イワンが罪の意識から悪魔と思われる存在と対話する下巻。
 
私が本著から感じ考えた事と、ドストエフスキーが描きたかった思想とはきっと違うものなのでしょうが、描こうとした思想のテーマは普遍的なものであり、その為に現代でも愛され、読まれ続けているのだと思います。
 
私自身の解釈では、神とは何か?何のために、どこに存在するのか?神とはつまり良心の事であり、良心そのものとは言わないまでも、人間は良心を通して神と対話するものである。また、良心とは各人が内に抱くものであるので、人間はそれぞれに神を抱くのであるが、良心は各々自身で育てなければならない。良心の糧になるのはまた、良心である(特に生まれたばかりの子供は自分では育てる事が出来ないので、幼い時分に(主に親によって)受ける良心は極めて重要である)。科学万能の時代になろうと、社会主義が成功して(書かれた当時はまだロシア革命は起きていない)物質の心配がなくなろうと、良心(それぞれの内にある神)を重要視しない社会である限り、人間の進歩は無い、そんな事を感じました。(それぞれの神という表現はキリスト教的には駄目なのかもしれませんが…)
 
私がオススメするのも気が引けるくらいなのですが、オススメです。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)