ピーチマン日記

ベトナム、サイゴンから、金融微生物が日記をお届けします。

意識高い系ではなく、プロフェッショナルになる為に。


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ロングセラー商品。何年あるんだ。
 
1ヶ月の日本勤務が終わり、昨日からベトナムホーチミン市勤務に復帰いたしました。
 
最近、意識高いクラスタと、本当の専門家の間には、以前に想像してたよりも遥かに大きい溝がある気がしてるなう。
向かう先が違うというか、時間をかければかけるほどその溝は大きくなっていく。
 
上記は先週ふと感じた事のメモの1つ。
 
最近『意識高い系(クラスタ)』という言葉の浸透度が増したなと感じる事が多く、そして何かする時にふと『もしかして、こういう事すると意識高い系に括られるのではないだろうか?』というような考えも頭をよぎるようになりました。
 
これではちょっと生きにくいな、と。
 
『意識が高い系』という言葉を自分の中で納得出来る所まで落として来ないと生きにくいかも、と。
 

そもそも『意識高い系』とは何か。

意識が高い『系』では無く、そもそも『意識が高い』とは何だったのか?
 

 

ある事柄に対して強く意識している。ある理念をよく理解している。

「環境問題に関して-・い」

 

上述の私のメモでは『本当の専門家』と記載しているが、『ある事柄の専門家になろうとしている状態』、もしくは『ある事柄の専門家(プロフェッショナル)と言えるかもしれない。
 
では『意識高い系と、ある事柄の専門家との間の溝』は如何にして超える事が出来るのか。
 
中々のボリュームを持って、意識高い系を解説している記事。
 
意識が高い人と意識高い系の人との違いは、「デキる人になりたい」のか「デキる人と思われたい」のかの違いです。
「デキる人になりたい」意識が高い人は、理想に向かって黙々と努力し結果を出します。
「デキる人と思われたい」意識高い系の人は、結果よりもその経過を人にアピールしてしまいます。
意識高い系とは、「自分はデキる男(女)」「自分磨きに余念がない」という雰囲気を醸し出しているものの、あくまでもそれは雰囲気だけであって、実際には大した努力もしておらず、自分が思っているほど周囲からの評価されていない人のことを言います。
良く言えば「セルフ・ブランディングの一環」なのでしょうが、他人から見ると「中二病を拗らせているだけ」のようにも見えます。 
 
上記は添付記事内の引用です。
 
この記事の結論もそうなっているのですが、つまり私が感じた『意識高い系と、ある事柄の専門家との間の溝』とは『努力が出来ず、評価されていない』意識高い系の人を『批判するだけで何も働きかける事をしない』事だったのかな、と。
 
『努力が出来ず、評価もされていない人が増えている』のであれば、それはそれで国力の低下に繋がる社会問題なのではないだろうか、と。
 

何故、意識が高い系は努力出来ないのか?

何故、努力が出来なくなってしまうのか?それは『疑う事をしない(ような行動や言動をしている)』からなのかな、と。
 
これも記事内の引用ですが、
意識高い系の人の特徴①話しを盛りすぎ!過剰な自己演出
意識高い系の人の特徴②上から目線で発言する
意識高い系の人の特徴③人脈の広さを自慢する
意識高い系の人の特徴④自己啓発してますアピール
意識高い系の人の特徴⑤あきれるほどポジティブ思考
意識高い系の人の特徴⑥話の中心になろうと躍気になる
 
つまり、
 
①過剰な自己演出は、『自分の社会的立場』を疑わないから。
②上から目線になるのは、『自分の能力』を疑わないから。
③人脈を広さを自慢するのは、『自分の人脈』を疑わないから
自己啓発してますアピールをするのは、『自分の行っている努力の内容』を疑わないから
⑤あきれるほどポジティブ思考なのは、『自分の将来』を疑わないから
⑥話の中心になろうと躍起になるのは、『自分の意見』を疑わないから。
 
こういう事なのかなと。疑う事をしない、つまり『疑問を持つことが無い』とそれ以上の努力が出来ないのかな、と。努力が出来ないので、評価されるようなレベルまでいけない。『自信がある』と『疑わない』の違いを認識していない状態、とも言えるかもしれない。
 
意識高い系を抜け、本当の専門家になるにはまず『疑い出す』こと。
 
つまり人の行動を『意識が高い系と一括りにして、何故その行動をしているのか疑わない』事も『意識が高い系の行動の1つ』と呼べるのではないか、と。
 
『意識が高い系の人を非難するだけの人』もまた『意識が高い系の人』なのではないだろうか、と。
 
自戒を込めて。
  
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