ピーチマン日記

ベトナム、サイゴンから、日記をお届けします。

お金2.0 新しい経済のルールと生き方 感想

お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)

 

読了…株式会社メタップスCEO 佐藤航陽さんの最新著書です。

インターネットによって様々なものが繋がる事で、知識と情報の格差が少なくなるという良い面があった一方、インターネットを通じ、多くの国々がグローバルな経済圏へ飲み込まれていく事に歯止めが効かなくなり、富の集中、格差社会が叫ばれるようになりました。

富の集中はお金がお金を生み出す金融経済の膨張を引き起こし、様々な金融商品が作られ、バブルを引き起こし、その火消しに政府が金融政策を行ったりと、最近はお金の存在が以前よりもヴァーチャルでフワフワしたようなモノに感じるのですが、普段の仕事や生活では国が定めた法定通貨を中心とした経済で生きている為、持たざる者(私もです)としては、なにやら振り回されているような気がして、漠然とした将来の不安を感じます。

その一方で、国によってコントロールされる中央集権的な経済に反発する流れとして仮想通貨が生まれ、国の信用が担保となる法定通貨を使わなくても閉じた経済圏が参加する者達だけで作られるようになり、やっと評価経済社会が実態を伴ってきているようにも感じています。

上記のような新しい経済の流れをシンプルに、自身で行っているビジネスの実例を伴って(ココが凄い…)まとめられている本でした。

現在の法定通貨を基礎とした経済が100%無くなっていくというわけではなく、今までお金にならなかった様々な価値が、今までの価値と共に探り合いながら、富を分散化する形で進んでいくのでしょう。この流れは今までの法定通貨を中心とした経済で生きてきた人達には現在までの否定に聞こえ、理解が難しい部分があるのだと思います(私も理解出来ているのか怪しいですが…)。なので、現在何も持たざる若者こそすんなり入っていく本なのかなと思いました。オススメです。

目次
第1章 お金の正体
第2章 テクノロジーが変えるお金のカタチ
第3章 価値主義とは何か?
第4章「お金」から解放される生き方
第5章 加速する人類の進化

 

お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)

お金2.0 新しい経済のルールと生き方 (NewsPicks Book)

 

 

幸福の「資本」論読了

幸福の「資本」論―――あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」

作家であり、社会評論家でもある橘玲さんの新刊読了…。

> ひとは幸福になるために生きているけれど、幸福になるようにデザインされているわけではない。
> 本書では、「金融資産」「人的資本」「社会資本」という3つの資本=資産から「幸福に生きるための土台(インフラストラクチャー)」の設計を提案しています。
> 幸せも同じように土台の上に正しく設計すべきものです。この土台のことを、ここでは『人生のインフラストラクチャー』と呼びます。簡単にいえば、「幸せの条件」の事です。その条件を下記3つに分け定義化していく。

> 1.自由 → 金融資産
> 2.自己実現 → 人的資本(仕事、労働)
> 3.共同体 = 絆 → 社会資本(家族、恋人、友人)

本著は橘玲さん集大成ともいえる内容で、「幸せの条件」をいつもながら多数の研究結果、書籍からの引用、また現在までの橘さん自身の書籍からの引用を用いて定義化していく内容です。いつもながら凄い情報量を端的にまとめていくので、血肉化するのは時間が掛かりそうですが面白かった点をメモ書き…。

1. 今の経済は知識社会科、グローバル化、リベラル化に向かって進んでいる。リベラル化する世界で何故右翼化する人がいるのか?


2. 仕事は3つのカテゴリに分けられるクリエイター、スペシャリスト、バックオフィス。


3. 個人主義と間人主義。個を重視して世界を認識するか。関係を重視して世界を認識するか。間人主義の日本式働き方はこれ故にバックオフィス的な仕事の場合効率が良くなるが、エキスパートが育たない。また、日本式働き方は不満が高くなるが、バックオフィス的な仕事だと効率があがる為、資本主義の流れからはそれを拒否出来ない。ただ、自己実現という観点で見るとバックオフィス的な職業でも自己実現が可能な人がいる。


4. サラリーマンに一番求められている事は高い能力ではなく、組織でうまく働く事。サラリーマンは職業ではなく、身分であると言える。サラリーマンはスペシャリストとバックオフィスを(中途半端に)兼ねた身分の事。


5. リベラル化する世界では組織に滅私奉公する間人の幸せは古臭く感じてしまう。


6. 日本人は遺伝的に不幸体質なのか?に関する調査結果は、不幸にも幸福にも敏感という事であった。鬱になりやすければ、楽天的にもなりやすい。


7. 社会資本は愛情空間、友情空間、貨幣空間に分けられる。愛情空間、友情空間はプライスレスな関係なので複雑で気を病む事がある(その代わり大きい幸せも感じる事が出来る)。貨幣空間ではプライサブルなのでシンプルで気を揉む事がない(その代わり得られる幸せも小さい)。


8. 結局、幸せは社会資本からしか生まれない。また、幸せは伝染するので常に幸せを得たいのであれば距離は重要な要素である。社会資本を断つ事はブッダの悟りと似ている。


9.本当の自分とは、幼いころに友達グループのなかで選び取った役割 = キャラの別名である。


10.どれだけ幸せの条件を固くしても限界効用逓減(ていげん)の法則により、幸せの上限は高くはならない。不幸から這い上がっていると感じる時こそ幸せを感じる上限は高くなる。

 

 

ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」読了

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟」読了。ロシアの文豪ドストエフスキーが死の直前まで書き続けた最後の大作。
 
> 物欲の権化のような父フョードル・カラマーゾフの血を、それぞれ相異なりながらも色濃く引いた三人の兄弟。放蕩無頼な情熱漢ドミートリイ、冷徹な知性人イワン、敬虔な修道者で物語の主人公であるアリョーシャ。そして、フョードルの私生児と噂されるスメルジャコフ。これらの人物の交錯が作り出す愛憎の地獄図絵の中に、神と人間という根本問題を据え置いた世界文学屈指の名作。(Amazonの商品紹介より)
 
130年以上前に描かれた小説で、文庫本サイズで3冊、計2,000ページ弱の大作ですが、全編を貫くのは、犯人は誰か?という推理小説のようなスリリングさがあり、一気に読めました。また、劇中劇的な構成にもなっており、各エピソードはそれだけで一つの完成された物語のような密度ですが、その劇中劇が登場人物の何故その行動を起こしたのか?という動機・思想に綺麗に回収されていく流れが凄い。
 
キリスト教異端審問官とキリストと思われる人物の対話を描いた「大審問官」を含む上巻。スヒマ僧(ロシア正教における高位の修道士)で聖人君子とされるゾシマ長老が、出家したエピソードをゾシマ長老の遺訓としてカラマーゾフ家の三男アリョーシャが語る中巻。そして最後、無神論を密かに心に抱くカラマーゾフ次男、イワンが罪の意識から悪魔と思われる存在と対話する下巻。
 
私が本著から感じ考えた事と、ドストエフスキーが描きたかった思想とはきっと違うものなのでしょうが、描こうとした思想のテーマは普遍的なものであり、その為に現代でも愛され、読まれ続けているのだと思います。
 
私自身の解釈では、神とは何か?何のために、どこに存在するのか?神とはつまり良心の事であり、良心そのものとは言わないまでも、人間は良心を通して神と対話するものである。また、良心とは各人が内に抱くものであるので、人間はそれぞれに神を抱くのであるが、良心は各々自身で育てなければならない。良心の糧になるのはまた、良心である(特に生まれたばかりの子供は自分では育てる事が出来ないので、幼い時分に(主に親によって)受ける良心は極めて重要である)。科学万能の時代になろうと、社会主義が成功して(書かれた当時はまだロシア革命は起きていない)物質の心配がなくなろうと、良心(それぞれの内にある神)を重要視しない社会である限り、人間の進歩は無い、そんな事を感じました。(それぞれの神という表現はキリスト教的には駄目なのかもしれませんが…)
 
私がオススメするのも気が引けるくらいなのですが、オススメです。
カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

 

 

「物語ヴェトナムの歴史」読了

物語 ヴェトナムの歴史―一億人国家のダイナミズム (中公新書)

「物語ヴェトナムの歴史」読了。紀元前後から20世紀に至るまでのベトナムの歴史を記述した書籍。俯瞰して見ると如何にホー・チ・ミンさんが特異な存在で、20世紀後半のベトナムに必要な存在であったのかよくわかりました。特に在住者であれば通りの名前になっているベトナムの英雄出現の連続なので、より楽しめてオススメです。

 

> ヴェトナムは一億人の国になろうとしている。ヴェトナム戦争では大きな犠牲を払いながら独立を堅持、経済成長のダイナミズムは二十一世紀のヴェトナムの発展を約束している。このエネルギーはどこから生まれるのだろうか。ヴェトナム人のこころ、民族の象徴として親しまれている建国の王フン・ヴォン(雄王)から、独立の指導者ホ・チ・ミンに至る歴史群像を語り、あくなき抵抗と独立の戦いに勝ち抜いてきた逞しい国民性の根源を探る。

物語 ヴェトナムの歴史―一億人国家のダイナミズム (中公新書)

物語 ヴェトナムの歴史―一億人国家のダイナミズム (中公新書)

 

 

「サイゴンから来た妻と娘」読了

サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1)

ベトナム戦争の話を読んでみたくて『サイゴンのいちばん長い日』のKindle版を探してたのですが無くて(何故か今日見たらあった…)、同じ著者の本だという事で読んでみました。新聞社の特派員としてベトナム戦争時のサイゴンに赴任になり、そこで出会ったベトナム人女性と結婚、サイゴン陥落(1975年)の混乱を逃れる為に日本に帰化させ、(主に)日本での生活を描いたノンフィクションです。結婚されたベトナム人の方はベトナム南部出身女性で、サイゴン在住が長くなればなるほどジワジワくる話が満載です。基本的に(南部の)ベトナム人のキャラクターは、今の人達とそこまで変わってはいないのかなと思いました(ただ、本の女性よりは確実におとなしくなっている…?とは思いましたが…笑)。

 

大抵は(80%くらい?)は日本とベトナムのカルチャーギャップに起因するおもしろ話なのですが、一部、サイゴン陥落とその後の南北統一の混乱に絡め、(南部)ベトナム人の微妙な心情を極めて細かに観察して記述されており、その洞察にはとても学ぶ所が多く(学んでも使える場面は無いのですが…)、また、フランス語とベトナム語が交じる文体も読んでて楽しくて良かったです。

 

バームォイラム、トッケイヤモリ、裏切った相手や恋敵にガソリンを浴びせて焼き殺す、雷魚、ときには小型ピストルまでハンドバックにしのばせて出かける、なぜ毎回新しいものを見たらいくら?と聞くのか、アナコンダ、ヒョウを轢き殺した、これらにピンと来た人にはオススメです。

 

> 特派員としてベトナムに赴任した新聞記者が出会ったのは現地の美しい女性とその娘。結婚して日本にやってきた彼女たちが繰り広げるカルチャーギャップと国際結婚の現実を描いた笑いと涙の作品。一九七八年に発表されるや大ベストセラーとなり、NHKドラマ化もされた名作の新装版。

サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1)

サイゴンから来た妻と娘 (文春文庫 こ 8-1)

 

 

「サイゴンの一番長い日」読了

サイゴンのいちばん長い日 (文春文庫 (269‐3))

読了…。サイゴン陥落(1975年4月30日)前後のサイゴンに滞在し、ベトナム共和国の建前(政治家の声)と本音(生活者の声)を新聞社の特派員として、またベトナム人の妻を持つサイゴンの一生活者として描いたノンフィクションです。縦にも横にもモザイクの国だと思う、と作中にありましたが、その複雑さの一端でも理解出来た気持ちになりました。

 

今、私が住んでいるサイゴンには、描かれた場面のほんの僅かな残り香しか感じる事ができませんが、あの時も今も全く変わらないものはサイゴンの強烈な太陽なんだろうな、と思いました…(検索したら文中に太陽が4回登場していた)

 

口では極めつけのナショナリストを自負しながら、ある面ではしたたかなインタナショナリストであるように感じられた、と文中にありましたが、ここまで極端に思うことは少ないにしろ、サイゴンに居ると私も似たような、どっちなんだ?という気持ちを持つ事があります(もちろん私のベトナムの歴史理解が浅い為でもあります)。何回も続くと中々疲れてくるのですが、その度に前述の強烈なサイゴンの太陽に消毒され(笑)、救われた気分になる経験があります。(サイゴンベトナム人もそれで救われている感覚あると思っているのですが…笑)

 

読後感はなんとなくその感覚と近く、妙に嬉しくなりました。オススメです。

サイゴンのいちばん長い日 (文春文庫 (269‐3))

サイゴンのいちばん長い日 (文春文庫 (269‐3))

 

 

落合陽一「魔法の世紀」読了

魔法の世紀

2015年11月に発売された落合陽一氏の著作。たまたまSNSで、全資産をBitcoinで運用していると聞いてまず興味を持ちました…(Valuでその運用状況を共有してて、そちらも面白そうだったので1VA買いました)

 

> 落合陽一:1987年生、筑波大でメディア芸術を学んだ後、東京大学を短縮修了(飛び級)して博士号を取得。2015年5月より筑波大学助教、デジタルネイチャー研究室主宰。経産省よりIPA認定スーパークリエータ総務省より異能vationに選ばれた。研究論文はSIGGRAPHなどのCS分野の最難関会議・論文誌に採録された。

 

PC -> Smartphone -> HMD(VR/AR/MR)ときて、最近何となく手詰まり感を感じてた事が全て吹っ飛んだというか…メーカーズブーム勃興(2013年辺り?)の頃にアトムからビット、ビットからアトムの話がありましたが、この本はそこから更に100年くらい飛んだ感があります…笑 書籍前半はコンピューティングと芸術相互を絡めた歴史理解、そこも面白かったのですが、後半のデジタルネイチャーの思想は今後の話をしていて、より面白いなと。

 

> 20世紀は「映像の世紀」だった。「映像の世紀」とは人間に指針を合わせてメディアを設計する時代だった。


> しかし、21世紀の「魔法の世紀」では人間の感覚を超越した設計を行うことで、メディアが物質世界自体をプログラミングできるようになる。(注:メディア = プラットフォーム = キャンバス、ディスプレイ、映画、SNS


> 人間の感覚器の解像度に合わせて作られた従来のメディアの定義を、物理現象の本質に遡ることで、新しい定義へと更新させる事。それは、場と場の間に人間の感覚器の制約を介在させないメディア装置の発明とも言える。


> ここに重要な視点がある。つまり、私たちの感覚器程度の解像度にすぎない領域からコンピュータを解放することで、物質が本来持っている性質が再現可能になるということ。

 

> 人間も例外ではない。身体の構成要素である物質は、構成や素材の水準から制御されるようになり、その一方で環境側からのアクチュエーションも盛んに行われ、また人間はロボットの代わりに使用される。

 

> 我々の存在自体は、外在的にインターネットに限定され、インターネットこそが人間の総体であるともいえるかもしれない。


> そうなれば、我々は自らの感覚的、認知的性質を備えた解釈器としてコンピュータの前に立ち、コンピュータのインターフェースとして情報を感覚や感動に変換する装置になる。

 

> デザインは表層、エンジニアリングは深層の問題を解決するという時代は、そろそろ終わりつつある。

 

> 産業革命以降、私たちは表層と深層を分離して、それを人間の言葉やイメージによって繋いできた。しかし、今や表層と深層はコードによって、ダイナミックに計算で接続されるようになり、設計が担うべき最低限の機能や形についてはコンピュータの補助によって自動的に満たされるようになる。

 

> 今後は表層と深層の両方を意識的に解決することなしに、新しいプロダクトは作れない。それは表層と深層の設計が事実上不可分になるわけだから、まさに産業革命以前のクラフトマンの時代に、「ものづくり」の人々が戻るということでもある。

 

まだ30歳になったばかり、日本にもこんな凄い人がいるんだな…と。オススメです。

魔法の世紀

魔法の世紀